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暁天講座でお話してきます


4日の朝、名古屋のお寺さんでお話してきます。 パンと牛乳が出ますよ(笑。

 真宗大谷派 名古屋別院さんはとてもたくさんのイベントを催されてまして、春の親鸞聖人750回御遠忌法要ではバガボンドの井上雄彦氏による屏風『親鸞』を展示されたり、寺カフェもやったり、本当に多様なイベントをされていて(もちろんゆるキャラもいますw)、そのイベントのうちの1つ「本当の終活」で『象の背中』を流したいというリクエストをいただきたのが、きっかけで「暁天講座」にお声がけいただきました。

 結局そのイベントでは「僕らの手には何もないけど、」のMVを流してくださって、絵本「くものうえのハリー」も紹介していただいたのですが、今回は私の生死観のようなものをお話いただければいいというか内容が仏教に即してなくても大丈夫という事で御請しました。

学校で学生相手ならいつもの事ですが、アニメの話でないお話としては初めての事です。しかも朝6時15分〜、70分。。。あ、でも絵本の読み聞かせイベントなどではちょっとお話させていただいたのであの経験があったのはよかったかもです。

 今振り返ると、学生の時に作ったアニメーションから、雲の上とこの世の関係が出てきていたり、いつも別の世界があるのが当たり前のような意識で作品を作っていて、その感じをお話できたらいいのかなと思っています。

「象の背中」を作った頃、「死ぬのが怖い」という友達がいたので、そんなん自然の一部になれるチャンスなのにと言ってもあまり伝わらなかったので、少しても楽になればと、死神をブニブニした間抜けなキャラクターにして 「こんな間抜けな奴が迎えに来ると思ったら、身構えなくてもいいか」と思ってくれればいいなと思って作った事とか(なので、死神は鎌を持っているのだけど、ポロンと鎌が外れておっちちゃったりさせたのです) 「くものうえのハリー」でも三途の川を渡る前は皆スタバで列を並ぶくらいの感じに描いたのも同じような理由です。

 いつも根底にある、そういう感覚がどこから来ているのかとかお話します。

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